第一びわこ学園は、昭和62年「抱きしめてびわこ」といって、全国26万人が、びわこ一周手をつないで、いのちにつながるびわこの水と、重症心身障害児・者につながるいのちを抱きしめるという思いをこめた、イベントをへてここ草津の地に移転をした。また、このたび、長年の夢であった、地域支援ステーションを新築した。そのステーションの名前は「みなも」である。抱きしめた「びわこ」の水面(みなも)をみつめながら、波をたてて遊び、交わり、さまざまな「表情」を「みなも」にうつす場にしていこう、というコンセプトである。
また今回、びわこ学園の創始者「糸賀一雄」先生を尊敬する方から、みなも竣工「句碑」を御寄贈いただいた。「奔(はし)りやまぬ比叡の水の淑気かな」という句である。いのちの源である水が、勢いよくあふれでてくる。その情景が厳かで、ありがたく、めでたい雰囲気である・・・といった句である。いのちの源の水が、皆さんの身体にも、びわこの歴史にも、重症心身障害のいのちにも共通に流れている。この、常に、あふれる、いのちのほとばしりを、感じて、大切にしていってほしい。
この句を作られた方のご友人の方が、40年くらい前に人生の中で、一度だけ糸賀先生のお話を聞いたことがあるとおっしゃった。それは、ある施設の行事の時で、当日は、あいにくのどしゃぶりの日であったという。集った人々は、あいにくの雨を残念がり、今日が晴れていたら・・・と挨拶がわりに話をしていたという。その席で糸賀先生は、挨拶をされ「きょうはすばらしい天気ですね。農家の方やおひゃくしょうさんは、さぞかし今日の天気をおよろこびでしょう。いのちの源の水が天からおりてきたのですから・・」とお話になったという。その場が、それ以後、どことなくなごんだということだった。その方は40年たっても、この時の糸賀先生のお言葉が思い出されるということであった。
このお言葉には、自分たちのことだけでなく、いろんな立場の視点でものを感じ、考えることの大切さを教えてくれている。また、雨の日も。晴れた日もそれぞれの、替え難い、価値があることを教えてくれている。つきぬけるような青空の時にも、雨の日のことや雨の地域を想い、嵐のよるにも、青空のことを想うことの大切さも教えてくれている。立場をかえれば、価値が逆転することも教えてくれている。
短いことばの中に、いのちの尊厳が表現され、凝縮された言葉であるからこそ、彼女の心の中で生き続けたのだと思う。
今日、青空の見える日に、びわこ学園に就職していただいた皆さん、ぜひ雨の日も、楽しめるようになってほしいと思います。またいろんな天候のことを感じられ、どんな天候からも仕事を組み立てられるようになってほしいと思います。また私たちもいっしょに、あらゆる天候を感じ、味わいながら、いのちの輝きをめざしていっしょに歩んで生きたいと思います。
(4月1日 就任式の後、第一びわこ学園へ配置された新人職員の前で話した内容を一部改変しました。)