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2007年 6月 3日 9.その2 身体性へのアプローチを通じて内面感覚の充実へ
−生活を支える医療とは−

4.身体性へのアプローチを通じて内面感覚の充実へ- 生活を支える医療とは−


 重症心身障害の方の社会的特性や情動や感覚の特性について、前回にのべた。それでは、できるだけ、その人本来の情動表現が可能になる、条件とはなんだろうか? 痛みや苦痛をできるだけ減らすこと、身体的に安楽に、快適な状態をつくりだすことである。脳障害からくる変形や筋緊張のために、筋肉や関節に過剰な負担がかかる。その中で、痛みの発生とともに、呼吸や消化管や排泄、尿路の動きに影響が出る。肝臓や腎臓などの内蔵も関連して、悪化することがある。さらに、身体的に安定していないと、本人と周囲との関係や交流も制限されて行く。内面的な不快と苦痛の感覚に支配されてしまい、本来の自己の表出が困難になる。呼吸がしんどいとき、どんなに働きかけても笑顔がでてこないことを考えれば、想像できるであろう。

 以前、胸郭の変形と緊張が強く、呼吸が不安定な、利用者がいた。吸引や排痰が必要となり、夜間十分眠れない。本人の表情は、苦痛そうであり、周囲で歌を歌っても、笑顔はなかった。思い切って、夜間のみ人工呼吸器の装着をこころみた。看護師による排痰は、夜間の一部に限定できるようになり、睡眠がとれるようになった。昼間の姿に、苦痛の表情が軽減し、なんとなく、落ち着いた表情をみせるようになった。ナースや介護スタッフが、なんとなく最近、声かけに反応するようになったといいだした。状態が安定してきたので、水族館への外出をした。水族館では、魚のせびれが光できらめくのをじっと眺めていた。笑顔が自然にあふれていた。呼吸と睡眠が安定したことで、身体的に安楽さが回復し、身体的苦痛に支配される自己から、本来の周囲の働きかけや環境に反応して、豊かなその人本来の、情動が関係の中で立ち現れてきた。表情や皮膚が、何げなく落ち着き、身体的内面感覚の充実とでも言うべき状態が達成できていた。医療 看護、療育スタッフにも、本人の本来の姿が意識され、なんとなく満足感がもてた。

 このように重症心身障害の方の生活には、身体性へのアプローチが不可欠であり、その専門性として医療がある。医療は決して、病気を治療する狭いものではない。医療は、本来の情動の表現や交流を周囲との関係性の中で実現するために、身体的内面感覚の充実をめざす、身体への専門的アプローチである。関節に負荷をかけない姿勢、胸郭がよく動き呼吸がしやすくなる姿勢やケア、食事がスムーズに摂取され、栄養や免疫力として身体にみなぎっていくような支援、など、生活への具体的、実際的支援を通じて、身体的に安楽な状態をつくりだし、そのことにより、身体内面から生じてくる感覚の充実をめざすチームアプローチの総体をいう。看護や介護、リハビリの役割は、重要だ。医療の治療的アプローチはその一部にすぎない。点滴や抗生剤の投与などをできるだけ少なくする努力に本来の医療の姿がある。みんなが、あたりまえのように、生活が楽しめている状態を作り出すのが、身体性の充実が達成できた状態で、本来の医療が機能した状態である。だが、障害が重いゆえに、このような状態を達成することは、なかなか難しく、日常的には、点滴や抗生剤の投与などさまざまな治療的アプローチも必要となっている。しかしより大切なのはそういった状態を未然に防ぐ生活の中でのアプローチであることはいうまでもない。

 このように重症心身障害の生活の充実のために、本来の自己の情動の表現が周囲との関係の中で実現するために、身体的専門的アプローチが必要で、そこにこそ医療の本来の存立基盤がある。重症心身障害の生活の充実のためには、医療、介護、療育スタッフの連携とチームアプローチが不可欠なのである。