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2007年 7月 6日 13.その6 コミュニケーションと記憶(3)

8.コミュニケーションと記憶(3) バイタイルサインでのコミュニケーション


 前回、コミュニケーションのためには、「ひたすら観察し、その行動の意味をさぐる」ということが重要だということを述べた。今回は、非常に重度で反応が乏しい利用者について、その意味を考えてみたい。

 以前 我々の施設に、障害が重く、ほとんど外部から反応がわからないように見える重症児が入所してきた。事故による脳外傷の重症児である。気管切開をして人工呼吸器をつけていた。CT上は、脳幹部をのぞいて、ほとんど脳実質はなく、液体でおきかわっていた。前頭部にわずかに、脳実質部が残る。脳波はほとんど平坦で、前頭部にのみわずかな活動電位を認めた。

 この少女を受け入れる時に、カンファレンスを開いた。医療的ケアに対しては、いろんな意見が出た。しかし、コミュニケーションや療育になると、さっぱりどうしていいか見当がつかなかった。話しかけても、歌をうたっても、反応がなく。伝わりそうにない。みんな、具体的なコミュニケーションのやり方については、沈黙の状態だった。

 病棟での、少女の生活が始まった。痰が、気管に貯溜すると、心拍数が少し上がり、口からの分泌量が増えていくことがわかった。看護師はそれをめあてに吸引した。感染の時には、発熱の前に、心拍数が増えていることがわかった。全身の緊張も少したかまるようっだった。また、皮膚にうすい赤い湿疹がひろがると、体調不良のサインのことが多かった。このような兆候の時に、採血をするとCRPが上昇しており、抗生剤の投与が必要だった。肩関節の習慣的脱臼で痛みがある時、心拍数が上昇し、皮膚に赤い湿疹が広がった。肩の位置をかえてあげると、湿疹はひいていった。

 病棟のスタッフは、自然に、この子の心拍は? 皮膚の色は?分泌の量は? 筋緊張状態は?と、心の中で対話していた。そして適切なケアを提供することが次第に可能になっていった。その結果として、少女は、心拍数の落ち着きや湿疹の消褪という形で、応えた。僕も、病棟にいくと、今日この少女は、どんな、心拍で、どんな皮膚の色をしているのか。少女のことを気にしている自分を発見していた。

 これは、バイタルサインを通じての会話ではないのか?と思った。何も反応がないと思われていた少女から、多くのサインが発せられていた。それを、スタッフは、すこしずつ受けとめられるようになり、応えることができるようになっていた。コミュニケーションが成立したのである。

 このころからスタッフと少女との会話が増えはじめた。「今日は調子がよさそう、心拍も湿疹も落ち着いているね。」[ちょっと、しんどそう。今肩の位置をかえたあげるから」 そして「おはよう」などの、あいさつも自然にでるようになった。わかっている、わかっていない関係なく、話しかけることが、自然になった。学校にも、人工呼吸器をつけて通い始めた。先生たちもバイタルサインを気にしながらも、さすったり、ゆらしたり、歌を歌ったりして話しかけた。

 おかあさんやご兄弟などの家族の方も、よく病棟にこられた。おかあさんは、少女のケアをして、スタッフと話して帰られる。兄弟のこどもたちも、少女の顔をのぞき込んで帰って行く。少女の子育てを、家族と病棟スタッフで協同しておこなっている感じだった。スタッフ、家族、先生 みんなの中で少女の存在感が大きくなっていった。

 今年の冬、少女は重症感染症のため、この世を去った。みんなの心の中に、大きな空洞がぽっかりあいた。同時に、少女の存在感の大きさを改めて、知ることになったのである。

 少女は、表面上は、何も語らないし、話しかけに対しても、笑わない。この少女の存在が、これほど大きなものになるとは、受け入れる前には予想できなかった。「植物状態なのでは?」と当初思った。しかし、本人の全身での反応、家族、スタッフ、学校の先生の、お互いが気にし会うまなざしにより、なくてはならないかけがえのない存在に変わっていった。少女は、確かに、豊かに生きていた。多くの人の心に影響を与えていた。だれもがそう思った。

 反応が少なく、自分一人では、呼吸すらできなかった少女が、多くの人の間で、豊かに生きて、影響を与えた事実は、大変大きく、記憶にとどめたいと思う。コミュニケーションはこうした重度の方とも確かに成立したのである。