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2007年 10月 23日 17.その10 コミュニケーションと記憶(7) 記録のなかにある記憶

12 コミュニケーションと記憶(7) 記録のなかにある記憶


 重症心身障害の方の記憶は関係性の中にあると、かいた。その関係性をよりよみがえらせるものの一つとして、記録がある。

 びわこ学園で、最近、脳の進行性疾患の方のケース検討があった。その準備の過程で20年以上のカルテ、写真、行事やリハビリ場面でのビデオをふりかえる機会があった。そこで、記憶のあり場所について考えてみた。本人の身体のどこかには記憶が生き続けていると思うが、脳障害は進行し、本人から語られることはない。ご両親は亡くなられており、生い立ちについてもう聞くことはできない。入所以来、長い経過をみてきた、スタッフは少なくなった。そのひとの記憶をたどることはとても困難にみえた。しかし、主治医や看護師、生活支援スタッフが、過去の記録をすこしずつたどることで、少しずつ、利用者の記憶がスタッフの中に再構成されてきた。

 大好きな、楽器が病気の進行のために弾けなくなり、不安と、たとえようのない恐怖に当惑している場面、しかし、その楽器を他人が演奏している場面を聞く場面はとてもうれしそうだった。同じ病気に倒れ、さらに進行した状態のご家族への面会の場面では、明日の自分をみているのか、優しい言葉で語りかけていた、そして次第に、本人の運動機能が低下し、本人からの表現が、消えていく場面が映し出された。ビデオ記録の中に、本人の記憶をたどることができた。

 筋緊張が強くなり、てんかん発作がひどくなり、それとともに病状は進行し、発熱や感染の頻度が増えた。眠気がきてもいいので、抗てんかん薬を増やし、安楽さを選択するのか、緊張がたかまり、発作が増えてもいいので、抗てんかん薬は増やさず、覚醒レベルをあげるべきか、何度もケース会議が開かれ、議論された。薬を増量したときや減量したときの本人の状態が日々のカルテに記載されていた。やがて、病気のさらなる進行の中で、少しずつ薬も増量せざるを得なくなり、本人も眠りがちで表情が乏しくとなっていった。その中で、昔を知っているナースや生活支援スタッフが、耳下で本人の好きな歌を口ずさんだり、家族との楽しいエピソードを語りかけると、一瞬口元がゆるんだ。わずか変化だが、確かな応答だった。脳の障害の進行とともに、勉強で得た知識の記憶は消えていくが、情動に彩られた記憶はいつまでも残っていくことに感動を覚えた。反応が少なくなっても、その人の情動を引き出す、声かけがとても重要であることがわかった。スタッフが変わっても、その人の記憶に働きかけることができるよう、記録の中で、記憶に近づくことの重要性が認識された。

 ケースワーカーからは、母親の気持ちの変化について報告があった。同じ病気で次ぎ次と倒れていく、家族に、人生の絶望を感じた吹雪の日、そして、病気でたおれた家族を心配し、応援してくれる仲間の存在に気づき、絶望的な状況を、みんなが心配してくれてることは、実は人生が祝福されていることなんだ、と表現し直し、希望の一歩を踏み出した、春の日のことが語られた。

 ケース検討の準備のプロセスの中で、診療録やケース会議の記録、ビデオ記録の中にも、その人の記憶がちりばめられていることがわかった。すこしずつ,その人の全体像が記録を通して浮かび上がってきたのである。日々の記録の重要性と意味を改めて発見した。記憶は記録の中にもある、これはとても重要な視点である。