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2008年 7月 7日 19.その12 利用者をとりまく家族と地域(2) 一人だけの不安にしないために

2. 利用者をとりまく家族と地域(2) 一人だけの不安にしないために


 もう、ずいぶん前のことになる。「一人だけの不安にしないためにーサービス調整会議」というパンフレットをみた。「障害のあるかたで、一人で悩んでおられる方は、連絡してください」、と電話番号が記載してあった。なにか、感じるものがあった。このことが発展して、滋賀県の福祉圏域ごとのの24時間生活支援センターが設立されることになる。設置されたとしても、地域生活での課題は今なお多いが、このパンフレットは、支援のシステム化への大きな一歩だった。家族と本人の努力にのみ可能になる生活から、地域のシステムでささえていこうというように、大きな変換があったからである。障害のある方や、いっしょに生活していこうとされている家族が、家族や本人の努力だけで地域で生き抜くことは難しい。不安と負担でおしつぶされそうになる。地域のしくみとして、ささえるシステムが必要である。この上で初めて、障害児の子育てから、いかなる心身の状態であっても普通の子育て といえるようになるのである。

 前回のコラムで、最初は家族に受け入れられなかった重度の障害児が、周囲の支えによって、家族の中心と感じられるまで、家族の意識が変わった例を紹介した。まさしく、このシステムがあるか、ちゃんと機能しているか、が重要な鍵となる。障害のあるお子さんの子育てが楽しい、こどもたちはいろいろなことを教えてくれている、家族の中心、そう感じられるためには、周囲の支援システムが機能していることが重要である。

 以前我々は、人工呼吸器をつけたお子さんが、病院からマンションへの生活に移行されるのをお手伝いしたことがあった。その中で、何回かサービス調整会議を開いた。最初は、自分たちにサービス提供ができない理由を語り合う会のようだった。何回か繰り返すうち、自分たちに、制度を越えてでもできることは何か、話がでるようになってきた。行政の協力も進んだ。人工呼吸器をつけていても、地域の幼稚園に通えること、また、市内を走っているリフト付きのバスに、人工呼吸器をつけた状態で乗車できるようにもなった。おかあさんは、人工呼吸器をつけたこどもと、「ベビーカーを押すように颯爽と街にでたい」と夢を語られた。このお子さんは、夢半ばで急変して亡くなられたが、我々に貴重な経験を与えてくれた。

 その後、滋賀県で重症心身障害のケアマネジメント事業が生まれ、また地域で支えるシステムとして誕生した大津市やまびこ障害者支援センターの事業を、我々も委託して、地域のシステム作りに参画した。また。入所施設も、少しづつショートステイの枠の拡大をすすめた。入所施設と地域のシステムが連携しながら、総合的に支援できる体制が必要とされている。

 どんなに障害が重くても、医療的ケアがあっても颯爽と街を歩けるかどうか? 今なお重いテーマである。医療的ケアのある人たちにとってまだまだの感がある。しかし、その目標に向かって少しずつ歩みを進めたいと思う。

   (個人が特定されないように、年齢や状況を変えて表現しています。)