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2009年 1月 20日 21.その14 重症心身障害の支援の専門性 (2)-介護の専門性と同性介護-

14. 重症心身障害の支援の専門性 (2)―介護の専門性と同性介護―


病棟の現場で、同性介護をどこまで保障すべきか?議論となることがある。現場では、人権の立場から、同性介護を守りたい、という思いがある。しかし、現実的には介護者の男女の比率と、利用者の男女に比率はくいちがっており、また、特に夜間は配置される人数も少ないので、男女の職員を利用者の男女比にあわせることは困難であることもある。どうしたらいいのだろうか?

 介護やケアに対して、何も考えないのではなく、このように利用者のことを考えながら、同性介護に配慮しつつ、悩みつつ取り組んでいる職場であることは、誇りに思う。しかし現実的な対応と目標が求められていることも事実である。このことに関しては、さまざまな議論や意見があるだろう。個人的な意見としては、同性介護も含むが、それだけにもこだわらない利用者にとっていい介護を目指す中で、この同性介護をどこまで保障すべきか?という問題は、自ずと解決されてくると思っている。

 それは、数年前、ある機会から、全面介護を受けている女性の方とその家族から、ある病院でのケアをうけた経験談を聞いたからである。その方は、Bさんという高齢の女性であった。全身の麻痺のために、ご自身では動くことも話すこともできなくなり、ある病院に入院していた。最初、男性による介護を拒否した。とてもいやだと、家族に文字盤で伝えた。しかし、しばらくすると、ある男性看護師Dの介護を受けたことを契機に、女性看護師よりもそのDの介護を喜んで受け入れるようになった。

 男性看護師Dは、「どうされましたか?」 といつも丁寧な言葉遣いでBにたずねた。表情や文字盤で利用者のニーズをさぐり、ケアは確実で的確だった。また、ケアをして帰るときは、「失礼しました」、と丁寧に挨拶をしてかえっていくのだった。全面的な介護をうけているBさんは、最初、男性の看護師Dのケアに抵抗感を持っていたが、このDの丁寧な小さなところまで気づく的確なケアと、あいさつの礼儀正しさには、他の介護者にはないやさしさを感じ、自分の尊厳が守られていると感じた。それから、安心で安楽な男性Dのケアを受け入れはじめたのである。

 それからBさんは、男性でも女性でも、いい介護をしてくれる方が一番よい、というようになった。また、限られた人数の現場では、男性だけが介護ができる、女性だけが介護ができる、といったように介護に限定があるのは不安だといっていた。自分への安楽な介護ができるのが、その現場で男女関係なくできるだけ多くの人に共有されていることが安心だという。というのは、いくら介護のうまい同性の介護者がいても、その人が24時間365日介護につけるわけではない。だとしたら、男女、関係なく、その病棟でできるだけ多くの職員に、自分への適切な介護方法が共有されていることが一番の安心につながると、Bさんは語ってくれた。それは、何か緊急で病棟に余裕がないとき、また、現場が忙しいときは、人を限定せず介護の水準が保たれることが、結局は介護を受ける人のプラスになることを身を持って、体験されたためであろう。

同性でも、介護が下手な人がいると痛みのために夜眠れなくなってしまい、絶望の夜を過ごすことになるとBさんは語ってくれた。夜勤者が女性と男性の二人いて、どちらからでも介護を受けられるとすると、一人の職員の介護が下手でも、もう一人の介護の支援を受けられるチャンスが広がる。いい介護が受けられる機会が単純に計算すると2倍に広がる。また、多くの人の間で介護が共有されるとき、多くの視点で介護がチェックされ、活発な意見交換や技術研修がすすみ、介護のレベルアップが図られていく可能性もある。Bさんは、介護者が男性でも女性でも、難しい自分の介護に逃げずに向き合って、尊厳ある介護にとりくんでくれることを願うようになった。

  

この事例から、同性介護というより、安全で安楽な、よい介護が、まずその人の尊厳を大切にする介護であるということがわかる。同性介護は、よい介護の一部であることは事実であるが、すべてではない。特に本人のニーズ把握が難しく、コミュニケーションやポジショニングの難度の高い重度の障害のある方のケアなど、介護の専門性を要求される場面においては、同性介護よりも、安心、安全、安楽な介護が優先されるのではないだろうか。本人が苦痛がなく、くつろげ、眠れることがケアの最優先課題であるからだ。いくら同性介護が保障されていても、この介護の基本が保障されなければ、意味をもたない。

ただ、介護される方の年齢や過去の人生経験からの心理状態から、ある時期、同性介護がすべてのケアに優先される方もおられ、そのことへの十分な配慮は必要だ。人間の尊厳が踏みにじられるような、異性の介護に傷ついてきた方も多いと思えるからだ。しかし、介護の質や専門性が高まるほど、その同性でなくてはならない比率は小さくなっていくと思われる。

同性介護は、いい介護を構成する一部であり、ある人にとっては大きいかもしれない。しかし多くの人にとっては、個人の尊厳を重視し、かつ安心で、安楽といういい介護がもっと望まれることであるように思う。

もし、同性介護を十分できない状況下では、いい介護を目指すことに目標を切り変えることが、利用者の人権を配慮した介護であり、利用者への最大の貢献につながるのではないかと思う。

(ここで紹介したエピソードは、個人が特定されないように、複数の状況を組み合わせて再構成しています。)