岡崎英彦先生資料
岡崎英彦(初代びわこ学園園長)について
昭和21年から糸賀一雄の創設した近江学園に園医として参加した岡崎英彦は、昭和38年に西日本で最初の重症心身障害児施設「びわこ学園」の設立と同時に園長となり、続いて第二びわこ学園を開設し、その園長にも就任しました。さらに社会福祉法人びわこ学園の理事長を兼任しました。
近江学園時代は16年、びわこ学園時代は逝去までの24年、その間共同作業所を運営するひかり福祉会理事長、滋賀県身体障害者更生援護施設むれやま荘所長を兼務し、日本重症児福祉協会常務理事、滋賀県心身障害者対策協議会会長、大津市心身障害者対策推進協議会会長など多くの職責を担いました。
【昭和62年6月11日ご逝去(65歳)】
略歴
大正11年 岡山県に生まれる
昭和16年 京都帝国大学医学部に入学後、戦争の激化によって軍医として中国戦線へ、復員後京都大学附属病院勤務
昭和23年 近江学園園医就任
昭和38年 第一びわこ学園開設し、園長就任
昭和41年 第二びわこ学園開設し、園長就任
昭和53年 「吉川英治文化賞」受賞
昭和60年 「朝日社会福祉賞」受賞
主な著書
「障害児と共に30年」「岡崎英彦著作集」など
日本の重症心身障害福祉に貢献された岡崎先生が職員に残した言葉
「熱願冷諦(ねつがんれいてい)」
(熱意をもって真剣に願うことと、冷静になって本質を見きわめること。)
【令和4年8月公開】令和4年度創立記念・岡崎先生生誕100年企画記念講演
この年譜著作目録は、年譜や著作の掲載だけにとどまらず、糸賀先生と出会い、先生の影響を受け、人生をかけて障害のある人々と向き合い続けた岡崎先生が積み重ねられたこれまでの実践や著作、さらには執筆中に関係団体から提供された資料に対する考察や解釈などもとりまとめられています。
講演で遠藤さんは、「岡崎先生の生涯は糸賀先生と共にあり、糸賀先生の思想を継承しながら発展させていったのが岡崎先生」であることを強調されました。また、糸賀先生が亡くなられた後、「この子らを世の光に」を自分のものとする歩みとその実践の積み重ねの中で「重症心身障がい療育は、『エモーショナルなもの』 =情動論を基底にした対人関係論である」ということを見出され、その中で生み出されるものが「人間関係の最も深いところから“幸”そのもの」であることを教わりました。
今回岡崎先生の生誕100年を期して、この学びを是非多くの方々にも共有していただきたく、その講演動画と講演資料を公開させていただきます。
(令和4年8月1日 法人事務局事業企画部)
●開催日時: 6月2日(木)10:30~12:00
【講演テーマ】岡崎英彦、糸賀一雄とともに
-「この子らを世の光に」 「本人さんはどう思てはるんやろ」-
【講師】遠藤 六朗 さん(びわこ学院大学元教授・元びわこ障害者支援センター所長)
講演資料
【講演資料】岡崎英彦、糸賀一雄とともに「この子らを世の光に」「本人さんはどう思てはるんやろ」 (2022-08-01 ・ 1656KB) |
【令和元年7月公開】岡崎英彦初代園長の資料公開について
著作紹介 岡崎英彦集「本人さんはどう思てはるんやろ」−ともに生きる から
解題
そして、近江学園からびわこ学園へ。「そこでは子どものなまの欲求よりは、障害とそれからくる症状の重さ、複雑さに対処する、より専門的な方法、それを可能にする場の構成への配慮がまず先行した」と書き、「わたくしがそれまで(近江学園で)学び知った、人と人とのかかわりを中心とした生活とは大きなへだたりがある。障害が重く、生きる営みを支えるのに、客観的な枠が意味をもつとはいえ、子どもの欲求とは相互にかかわることなく、日々の生活が流れるのは、なんとも不自然と思えてならない」と。これは岡崎のびわこ学園発足時の感懐である。しかし、人間全体をみようとする岡崎の眼はあくまでも生きているその場である。その場とは何か。まさになまのぶつかり合いである。岡崎は少なくともそう考えた。
もし福祉という言葉を使うとするのであれば、この人と人との関係、ともに生きているというその実感が土台にあり、それこそが必要なモノを生み出す。
(びわこ学園法人事務局事業企画部)
岡崎英彦集「本人さんはどう思てはるんやろ」−ともに生きるは「こちら」でご案内しています。
岡崎英彦先生の事績
「糸賀・岡崎 近江学園の展開とびわこ学園の創設」リーフレット
びわこ学園だより「岡崎英彦先生特集」
びわこ学園だより第128号(18.07.01) 岡崎氏特集(1) (2020-01-31 ・ 1635KB) |
びわこ学園だより第129号(18.10.01) 岡崎氏特集(2) (2020-01-31 ・ 544KB) |
びわこ学園だより第130号(19.01.01) 岡崎氏特集(3) (2020-01-31 ・ 837KB) |